月に一度、私は頭の中でとんでもなく華やかなアカデミー賞の授賞式を開催している。会場中が同じ座席に腰掛け、同じ方向を見つめているその空間。その無数の座席の海の中から、私は「すみません、すみません」と軽くお辞儀をしながら通路をすり抜けていく。
浴びているのは「おめでとう」という祝福の眼差しと、眩しいほどのスポットライト、そして未来への希望だ。今まさに、私はあの煌びやかな舞台へと歩みを進めている。
私は「和式トイレ」ができる。
和式トイレができることがこれほど特技になり、輝き、あらゆる人の先立つことができるようになるとは。初めて和式トイレした私は思ってもなかっただろう。
長崎空港のトイレは、いつだって長い行列ができている。皆が求めているのは、洋式トイレ。
洋式がたった2つに対し、和式は1つ。しかも、現代において和式トイレを使いこなせる人は驚くほど少ないということは月に一度ここの空港を使うことで強く学んでいる。
先月は、並んでいた女子小学生に、「どうぞ」と言われて、(さすが令和の小学生、、!)と思い、軽やかに追い抜いて、和式の扉を開けた。
そして今月も、長蛇の列の中、「和式の個室、空いてますけど?」と案内された瞬間、静かにスッと手を挙げたのは、この私ただ一人だった。
並んでいる人たちの視線が、一斉に集まる。この快感といったらどうだろう。
ただ「和式トイレができる」というだけのスキルで、これほど多くの人をスマートにごぼう抜きにし、自分がまるで主役のように輝ける日が来るなんて誰が想像しただろう。
あまりの行列に最初はトイレに行くのをやめようかと思ったけど和式トイレができるおかげで私はだいぶ時間を巻くことができた。
この前、小学生の女の子を差し置いて和式に入ったときなど、「お姉さんはこんなに華麗に使いこなせるんだぞ」と見せつけるかのように、トイレの個室の中でスカートをふわりと大きく広げ、この気合と気迫が分厚いドア越しでも伝わるよう、見事なスクワット姿勢でまるでパフォーマンスのように用を足してやった。
ただ、そういう時に限って、勢い余ってちょっと飛び散らかしてしまったり、ポジションが後ろ過ぎてヒヤッとしたりするので、特に大きな方をするときは細心の注意が必要だ。
なにごとも調子に乗らないこと。
人生、どこでどんな特技がものを言い、人を追い抜く武器になるかなんて分からない。そして、どんなことで思いがけない歓喜の瞬間が訪れるかも分からないものだ。
今日も私は、誰にも真似できない和式トイレの栄光のステージでまばゆく輝いてから、軽やかに飛び立っていく。無予定でなんのために2拠点生活してるのかな?と不安になるときもあるけど、和式トイレをするために2拠点しているし、ここで私は輝き続ける。




