バナナは「バ」、ぶどうは「ぶ」、すいかは「た」
やっと子どもの髪を切った。前回切ったのはいつだったか。さいきんいつも乱れていて可愛さ半減。「キッズ 美容院」で調べてみ...
浮記
2025年9月7日
昨晩は夜風がきもちよかった。こんなに長く風鈴の音を聴いたのは今年はじめてかもしれない。年中つけっぱなしの風鈴は岩手旅行のときに買った南部鉄器の風鈴でおきにいりなのに、暑すぎて空気のいれかえのときくらいしか窓を開けられなかったから。
昨日はひたすらSpotifyでラジオをきいた。(いまってラジオのこと自体ポッドキャストと言うのか…?)今までラジオといえばお笑いラジオだけで、TBSラジオのJUNKのいくつかとマイナビラフターナイト出身の芸人ラジオばかり聴いていた。特に『空気階段の踊り場』にはコロナ前後にどっぷりのめりこみ、2021年のキングオブコントは夫とテレビの前で正座をしてまるで親戚のきぶんで優勝を見届けた。でも痛いファンになってしまうのだけど売れて目まぐるしく忙しくなった彼らのラジオで日々の泥くさい生活が語られなくなってしまい、だんだんと聴く機会が減っていってしまった、というかラジオの中で優先順位が落ちてしまって聴きたくても聴けないというかんじ。いまはとにかく生活にねづいたとりとめもない話が聴きたくて仕方がない。なんなら自分もその輪の中にはいりたいくらいで。
三十年商店「エフェメラ!」ほしばさんのユニット”issue means nothing”の『イシュミナ』と夫の友人が始めた『ランダム・アクセス・メモリーズ-揮発性記憶-』どちらもものすんごい面白かった。
●イシュミナ「Ep.94 -自分のこと、ちゃんと自分で決めれてる?」
3つの自立に始まり3つの格言(?)シリーズはどれも胸に手を当てて考え込んでしまった。まず今の今は経済の自立もあやしければ精神の自立なんてもってのほか、生活の自立はまあ..と思うが自信がなくなり自問自答がとまらない。でもわたしも割とガチガチのGNO人間だとおもっているので少し救われた気分になったり、子どもへの問いかけなんてまさに日頃考えていることと近しくフムフムと頷きながら聞いてしまった。わたしは30代だしそれぞれの年代にそれぞれの悩みはあって微妙に違うのだろうけれど、でもそれは奥深いところでは年齢をこえた話で繋がっていて普遍的だからおもしろい。野島さんが冒頭で「それが人間」だと思うのは絶望だとおっしゃていて、それもものすごく共感したけれどあとから”絶望だけどそれ楽しんでいるフシがある”と言い直していたのを聞いてさらに共感してしまった。いまわたしはとにかく毎日疲労困憊ですぐ生きること自体をほっぽりだしたくなるくらい絶望してしまうけれど、基本的には好奇心がとまらないし世界の身近なことや果てしないことまで知れば知るほど面白くてしかたない。その感覚と経験で子どもと対峙していきたいと思えた回だった。
7月に行われた選挙は、肉体的にも精神的にもやられっぱなしだったわたしにトドメをさしてきた感があった。だけどしばらく経った今これを聞いて「ああ、熱狂の渦にのまれてしまってたんだな」と気づく。東浩紀の存在を知らなかったけれど『東浩紀が参院選の結果を見つつひとりクダを巻くだけの限界雑談特番 有識者の分析に飽きたらここだ!+自民から参政・共産まで、視聴者大討論会』だけでも一度観ておこうと思うくらい面白い話だったのにその現実VSネットみたいな構図を一歩ひいて「三島由紀夫vs全共闘」にたとえたり、偏見が信頼関係をもたらすことがあるといったコミュニケーションの構築法について分析したりと知識欲をそそられる内容だった。ミュージシャンであるふたりが“表明と実際の行動は何も関係がない”というのには違和感があったけれど、その違和感を感じる理由こそがわたしの7月の不調を悪化させた根源でもある気がして、自分にとっては前者で触れたような絶望でもあり希望でもある厄介な感覚なのだなと反芻する。
あ~また聴かなきゃと思えるラジオが増えてしまった。おかげで家事がはかどるかしら。
今日は思いっきり太陽を浴びてビタミンDをためこんだ。子どもは大汗をかいて遊び「すこやか~」という顔をしていて10時過ぎには寝た。いくら若干すずしくなったとは言え熱中症には細心の注意をはらっているが、この大汗をかいてあそぶっていうのは本当に大事な気がした。家に帰る途中スーパーに寄ったら今日はいろんなご老人たちから声をかけられて、子どもを見て「かわいいねえかわいいねえ」と目をほそめてくれる。中には「ごめんね、こんな年寄りだから、こんなに小さい子を見るとかわいくて仕方がないの。ほんとうにかわいい、ありがとう」と気持ちを表明しながら話しかけてくれる方もいた。なるべく色んな大人たちと関わってほしくて、わたしも積極的になっていると「ママありがとう」といってくださった方もいた。こんなとき「このご老人も普段孤独を感じるかもしれないけれど、いまご老人も子どももわたしも確かに社会のなかにいた」と思えてうれしくなる。子どもが完全に寝つくまで家のまわりを自転車で何周もしながら、この小さな社会とのつながりを大切にしたいなーわたしに何ができるかなーと思った。
埼玉県さいたま市/36歳