「怒られないように」と思って行動すればするほど結局怒られる
「怒られないように〜」と思って行動したことで結局本心を言わなかったせいで伝わらず、後々大変に怒られてしまう...

もしもし五島列島
モシモシゴトウレットウ
2026年6月2日

こんな立派な親父じゃ、俺の人生、辻褄が合わねえよ。
映画『晴天の霹靂』のなかで、大好きなシーンがある。
「どうしようもない男だ」と見下していた父親が、実は人格者で、自分にはその事実を隠してしょうもないように見せていただけだったことをタイムスリップしてその真実を知ってしまった主人公が、「俺の父親がこんなんじゃ、俺の人生辻褄合わねえよ」と叫ぶ。
このセリフが、ずっと頭から離れない。自分のなかの情けなさや惨めさを全て肯定して行きたいから、必死に理由を探し、辻褄を合わせるのが人生の情けなさである。
最近、私は晴れた日が少し苦手になった。
正直、とても苦手。地球全体が私のことを責めている。
無職で、ただひたすらのんきにぐうたらしまくっている今の自分に、あの眩しすぎる青空はちっとも似合わない気がするからだ。ピカピカの晴天を前にすると、自分の生活の「辻褄」が合わなくて、ひたすらどんよりしてしまう。
怠惰な生活を地球から怒られている感覚。
一方で、私は大雨の日が大好きだ。
ただどんよりと曇っている中途半端な日はただジメジメするだけなので嫌いだけれど、もういっそ天気がおかしくなっちゃっているような、激しい大雨の日は最高に落ち着く。
なぜなら、世界が激しく荒れてくれているおかげで、自分の生活の「悪さ」やだらしなさが、外の景色とちょうどよく馴染んで、カモフラージュされるからだと思うし、雨の音はいろんな嫌なことを流して浄化してくれると思う。
世間では、雨の日や天気がすぐれない日のことを、当たり前のように「天気が悪い」と、良い・悪いの“悪い方”で表現する。
けれど、雨は植物や土にとっては「恵みの雨」だ。
そう考えると、何が良いことで何が悪いことなのかなんて、それぞれの立場によって全然違っているから、私の怠惰オブ怠惰もある意味「良い」生活ではあるのかもしれない。
次、とんでもない晴れの日がやってきたときはファイティングポーズとっていこうと思う。かかってこい〜私はそれでもぐうたらするぞ