愛犬の足を拭くたびに思い出すことがある。

親戚のおばあちゃんの家に遊びに行った時のことだ。

そのおばあちゃんも犬を飼っているから、「家に入れていいよ〜」と、ものすごく寛大に私の愛犬を迎えてくれた。

だから私は、「ちょっと足だけ拭きますね」とタオルを持った。

するとおばあちゃんが、「犬慣れてるから私がやるよ」と言って、愛犬の足を拭き始めた。

その瞬間、私は衝撃を受けた。

想像の50倍、強く、激しく、長く拭いている。

いや、確かに家に上がるんだから、ちゃんと拭きたい気持ちはわかる。

わかるんだけど、そんなに汚くないよ!?と思った。

なんかもう、雑巾がけみたいだった。

犬の足を拭いてるというより、年末の大掃除みたいな勢いだった。

でも、おばあちゃんからしたら、それが普通なのだ。

床を汚さないように、ちゃんと綺麗にしたい。

その気持ちは当然だ。

だけど私は、「そこまで汚くないのになあ」と思ってしまった。

たぶんそれは、愛犬だからだ。

愛情って、汚さに勝つ。

だから私は、愛犬の足が多少泥ついてようが、毛に草が絡まってようが、全然気にならない。

なんなら肉球の土ですら、ちょっとかわいい。

あと、愛犬のにおいにも完全に慣れてしまっている。

だから、しばらく家を空けて帰ってきた時に、「あ、犬のにおいする」と感じると、ちょっとびっくりする。

お、お前、犬だったんだ……って。

普段は「犬」として見てない。

ただの尊い存在として扱っている。

子どもも、たぶんそうなんだと思う。

子どもが汗だくだったり、よだれを垂らしたり、妙に子どもっぽいにおいがすると、たまにびっくりすることがある。

「あ、この生き物、ちゃんと人間の幼体なんだ」って。

そして時々、子どもの汗やよだれを、ちょっと苦手だと思ってしまう自分もいる。

そんな時、自分って小さいな、と思う。

だけど、それは愛がないというより、まだ「かわいい存在」として見ている段階なのかもしれない。

子どもを、“子ども”として見ている。

そこにもっと深い愛情が入ると、たぶん、よだれも汗も、泥だらけの足も、全部どうでもよくなる。

人って、そういう生き物なんだと思う。

愛って、衛生観念とか理性とか、「普通はこう」みたいなものを、平気で飛び越えていく。

だから、親が子どもの鼻水を素手で受け止められるのも、犬の肉球を「いい匂い〜」って嗅げるのも、たぶん全部、愛の過剰さなのだと思う。