またまたクレヨンお絵描きが進化したウキッコちゃま。

親ばかなので「あ~もうぜんぶいいじゃんっ!貼っちゃおう!」と壁に貼りまくっていて子ども部屋が埋め尽くされた後はリビングへ、なかなかカオスになってきている。しかし本当にいいのだ。さいきん「目」「口」も書けるようになりなんとなく顔も書けるようになってきたものの結局最終的にはダイナミックな抽象画になっていて、それはそれでめっちゃいいのだけれど。

わたしはその場にいなかったが、夫のウキッコの「ママにみせにいこう!」という声がしてきて見せてもらったのが、クジラの絵。これが、ほんとうにクジラだった!(写真左下の黄土色は「こわいひと」らしい)

今までこれはパパ、ママ、ほかにもバイキンマンとかいろいろあったけれど、何にでも捉えられる絵だったのに対し、それはもう明らかにくじらだった。

本人がうれしそうだったので、わたしも思わず大興奮でいいねえ!となった。

そこからが面白くて、そのあと何度もクジラを書こうとしてはその輪郭となる線が描けず一筆描いては「描けない~!」と違う紙をだし、また「描けない~!」となってそれを3回くりかえした挙句、「描けない~!」とたくさんの画用紙にスライディング倒れこみをしてうわーんと泣いた。

笑っちゃいけないと思いつつ、夫と笑いを越えるのに必死だった。

なぜなら気持ちがめっちゃ解るのだ。夫は「紙がもったいないからもっと描きたそう」と言ったが、わたしは「紙は何枚でも使っていいからもっとやれ!」となった。そしてそのウキッコが「描けない」認定した線だけの紙をさして夫は「これもめっちゃいいじゃん!」と言ったのだが、それは違うぜとわたしはなった。

解る解る。自分で良いと思えるのが描けてたとき、同じようでもっといいものを描こうとしたら最初の一筆からちょっと違って、これでは絶対最初の良いやつを越えられないと最初からやり直したくなる気持ち。

絵もそうだけれど、6年間習った習字でもわたしはそうだった。そして自分が「これは全然よくない」というものを褒められたとてなんの救いにもならなかった。

紙をめちゃくちゃ使わせることや声掛けなど、なにがいちばんいいかなんてわからないけれど、楽しいと思えることの入り口に立っている気がした。くじらは偶然の産物なのかもしれないけれど、それによって自分も「めっちゃいい!」と思えて、人からも「いいじゃん!」と言われ、もっといいのを描こうとしたら全然かけない。むしろどんどん乱れていく。そんなとき、どーする?心の葛藤がスライディング倒れこみに現れていて、それは単なるグズリではなくって。

わたしも刺激をたくさんもらえた。夫とは歌のセッションもやっていて、どんどん男同士のチームができあがってきている。ママの役割はいつまでも特別だけれど、わたし以外の人間とたくましく挑戦する姿を遠目にみている時間がいちばん幸せかもしんない。(自分はおいしいコーヒーでも飲みながら)