セイリングにソフィを送ってから、ルナソレを連れて散歩に。同じクラブに息子2人を通わせているご夫婦と一緒にランチをして、それから2時間のハイキングをした。彼らはナポリとピサの出身でミラノに住んでいる。北イタリアではなく南イタリアの人たちだからかとてもリラックスしていて、わたしは話が半分くらいしかわからないけれど一緒に居ても楽ちんなのがありがたい。

ランチをしながら男尊女卑の話になり、日本とイタリアどっちがその傾向が強いかという話題になったが、イタリアもまあまあ日本くらいの程度な気がした。話していてやはり思ったのは、マジョリティ側の人間には、知らぬ間にマイノリティ側に立たされていた人の気持ちは到底わかりようの無いということだった。それはわたしがマジョリティ側にたまたま居た場合にもおんなじことなんだろうということにもなり、身につまされる。マジョリティ側も、そちらに居ようと思って居るのではなく、たまたまだからこそ根深い齟齬に繋がっている気もする。つまり、悪気の無い結果的なアグレッシブを投げつけてしまってるというか、何というか。

平等にはなり得ないけれど、相手の立場を想像することができるか、もとい、そういうことを相手(または立場が異なる人たち)と顔を合わせて表情を見ながら話したことがあるのか、ということに帰納していくのではないかな。やはり人間同士の対話ということなんだろうかな。