
1週間ぶりに病院。血液検査の結果を知るために。子どもを産んでからは病院にいくたび産前/産後と言われがちだげれど、わたしからしたらストレスフルか/否かでだいぶ状況が変わる。PCOSなのはきっと10代からだし、それから度々体調悪く検査すると何かしらが異常値→詳しく検査したけどまぁストレスでしょうで片づけられてきたので、ホルモンがーとか代謝がーとか過去の検査結果のフィードバックを産前/産後として指標にするより、そのときわたしがどういう状況だったかを説明した方が分析しやすいと思うのだけど、医者はこちらの憶測だなんて聞いてくれやしないので従うしかない。結果、去年?兄が心筋梗塞を患った家族歴が追加されたのと、最新の血液結果のコレステロール値をみて“家族性高コレステロール血症”と診断された。これはもう頑張ったところでめちゃくちゃ改善するわけではない&今ではなく女性は更年期~閉経時に悪化しないようにと薬での治療がスタートした。
正直いままで体調悪くて病院に行って異常値で精密検査でストレスでしょうと言われてでも生活を改善したらわりと良くなっていたので、自分のだらしなさというか正に“生活習慣病”なのだなーと思っていたので、血液検査の数値だけみれば(毎度甲状腺は問題なし)今回もその上で改善すればある程度よくなるんじゃないかなーと思うのだけど。いうて今までずっと値は高いわけなのと兄の件もあるので予防を兼ねる年齢になってきたのかなとも思ったり。父も兄も30代後半での心筋梗塞という若さもあるのかな?いずれにせよ食事療法はしなければならぬ。PCOSがPMOSに名称変更したのもあって、代謝を確認したかったけれどそっちは問題ないそう。でも初診だと代謝といっても色んな血糖値の調べ方があるから色んな検査するかもだとか、いびきをしていなくても睡眠時無呼吸症候群(ウワサのCPAPでなくても段階的な治療法があるそう)の可能性もあるかもと言われていたのに、診断はやくないかなー?というのも本音。まずは薬をしっかりのんで、食べ物(というか食べ方)気を付けて、次の数値の結果をみて考えればよいか。どうしても医者のいうことにくってかかりたくなってしまうタイプ。でも自分の身体なのだから病識は必要だ。そして若い頃から人一倍身体と肌がつよくて欲深くいきてしまったぶん、年齢と健康のありがたさを意識して生きていかねばならんのだなー本音は「太く短く楽しく」なんだけどなー。不健康じゃ、楽しくないもんなー。
昨日の朝きいた『考えすぎフラグメンツ』#63 大変さがない楽しさなんて存在する?、めちゃくちゃ面白かった。簡単にいうと「他人の言葉」をどう扱うかについて。これは会社でもそうだし、家庭でもめちゃくちゃたいせつな気がして正に保育園の行き渋りというか環境の「変化」になれなくて荒れ始めているウキッコのド・ストレートな言葉の受け止め方においても活用できると思った。言葉の奥にある、本当の気持ちを探ってみること。よく“共通言語”というが、わたしの身近な友人とは阿吽の呼吸で会話がなりたつ。しかし普通は同じ日本語でも言語がちがうので、その上でただ翻訳をこころみるのではなく、他者とのコミュニケーションの取り方、姿勢について深く考えることができた。
『RAM』#74 図書館で勝手に救われた こちらもいま自分がふわっと考えていることとリンクしていて面白い。彼らのTwitterのタイムラインにでてくる内容がわたしと同じだったので、めずらしく時事的にタイムリーに笑える部分もあったり。なぜ自分は図書館がすきなのかを改めて別角度から知る機会にもなった。ほしばさんの日記でも教会で“こういうところではひとりでいたいタイプだから、ありがたい。(わがままかよ笑笑)”とあったけれど、わたしも同じで。「みんな」とは「孤独」とは。けっこう周りとも談義したいような内容。でも、それでいうと食事にかんしては「みんな」でたべたいと思うようになったかもしれない。誰かと映画館やライブにいっても、いざはじまったらわたしは友人やその他の観客とは交わらない独りになる。それを選択する。なので一人ラーメン、一人焼肉だって全然たのしい。そうだったんだけど、だんだん食事における独りの良さは自分の中でうすれているかもしれない。一人で食べた方は味は美味しく感じるときが多い。ラーメンなんて特にそうで。でもラーメンだって映画館と一緒で食べている最中は無駄におしゃべりしないし。横に誰かいてくれてそのあと味を共有できる方がうれしくもある。ハンバーガーだなんてまさにそうで、コレステロールうんぬん言われている癖、病院の前に今日もハンバーガーをたべた。めっっっちゃ美味しかった。だけど半分食べ終わった頃、つまりやや胃が満たされたあと、きゅうに身体がおもたくなってきた。イシュミナでもあったけれど、「こころ」と「からだ」はひとつ。くわえて「みんな」と「ひとり」のバランスも大事。けっきょくバランスの話になってくる。そしてわたしはアイデンティティとしての「極端上等」の精神で生きつつ、どう微妙にバランスを取り入れていくかが永遠の課題な気がする。




